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美園について

美園地区の概要

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「美園地区」は、2001年に開通した埼玉高速鉄道線(以下SR)浦和美園駅を中心とした都市開発の進む地区とその周辺エリアです。さいたま市東南部にあたり、都心25km圏に位置する首都圏の郊外地域です。
SRの開通により東京都心と直結し、東急線経由での横浜方面へのアクセスもスムーズ。東北自動車道浦和I.C.の利用により、東京外環自動車道等を経由しての広域アクセスも容易となっています。
駅周辺では、大規模な土地区画整理事業が進められていますが、「埼玉スタジアム2○○2」をはじめとした公園・緑地や、綾瀬川・見沼田圃といった水・みどりの環境資源も美園地区を特徴づける要素となっています。

地区の歴史

美園地区は、大宮台地の一部である安行台地から中川低地にかけて位置し、旧石器時代の遺跡から、2万5000年前には人が住み始めていたとされています。
江戸時代には、日光街道の脇街道として整備され徳川将軍の日光東照宮社参に利用された「日光御成街道」が本地区を貫いていました。本地区においては、同街道の起点である本郷追分から岩淵宿~川口宿~鳩ヶ谷宿と北上して4つ目の宿場町である「大門宿」が栄えましたが、1694年建造の大門宿本陣表門は県指定史跡として、1775年建造の大門宿脇本陣表門は市指定有形文化財としてそれぞれ現存し、当時のようすを今に伝えています。
大門宿周辺は「明治の大合併」により1889年4月に「大門村」となりました。1924年10月に蓮田~岩槻間で開業した武州鉄道が、1928年12月には岩槻から大門村の「武州大門駅」まで南に延伸しました。北に隣接する野田村にも「武州野田駅」が置かれ、1936年12月に神根(現川口市石神)まで更に南に延伸した際には「下大門駅」も置かれました。武州鉄道は経営難により1938年9月に全線廃線となりましたが、現在美園地区を縦貫する国道122号線は、その武州鉄道廃線跡も活用して整備されました。(1970年3月に岩槻鳩ヶ谷バイパス開通、1980年3月に同バイパスに沿って東北自動車道開通)。
なお、「昭和の大合併」により、1956年4月に戸塚村・大門村・野田村が合併し、「美園村」が成立しました。1962年5月には、旧大門村(一部を除く)と旧野田村が浦和市に、旧大門村の一部と旧戸塚村が川口市にそれぞれ編入され、美園村は消滅しましたが、以降浦和市に編入された地区は「美園地区」と称されるようになりました。

都市開発の経緯・概要

1985年7月に、地下鉄7号線(南北線)が浦和東部まで延伸する方向性が国において示されました(運輸政策審議会答申第7号)。埼玉県が中心となって第三セクター「埼玉高速鉄道株式会社」が1992年に設立され、同社を中心に地下鉄建設が進められ、2001年3月に「浦和美園駅」が開業しました。
一方で、1996年5月に2002年FIFAワールドカップの日韓共同開催が決まり、同年12月には、埼玉県が本地区内に整備計画中であった県営サッカー場もW杯国内開催地に正式決定しました。同サッカー場は1997年2月に造成工事着工、1998年5月には建築工事が着工され、2001年10月に「埼玉スタジアム2○○2」としてオープンしました。
これらと期を同じくして、新駅とスタジアムの周囲の都市整備も並行して進められることになり、2000年以降、総面積にして約320ha、計画人口約32,000人の大規模な土地区画整理事業が開始されました。2006年4月には駅東口の先行整備街区がまちびらきとなり、大規模な商業施設やマンションも建設され、新しい街が姿を現しつつあります。
美園地区は、さいたま市の総合振興計画においても、スポーツ、健康、環境・エネルギーをテーマとした「副都心」の形成を目指す事とされており、暮らしやすく、活力あるまちとして、今後益々の成長・成熟が期待されています。

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